No. 1400昔の記憶。

東京・柴又が終わって一週間。
もう一年前くらいのことのように感じます。
一年前のUTMFなんてもう大昔の話です。。
東京・柴又のキツかった記憶はどんどん消えています。楽しかった記憶や嬉しかった記憶だけが残るので必然的に時間が経つほどに良い記憶の割合が増えていきます。
UTMFに至っては悪い想い出はほぼ無くなったしキツかったことも忘れてきている。。。
私だけではなくみんなそうだと思います。
悪い想い出だけでは人生は辛い。
だから辛いことや嫌なことは少しづつ忘れて行くのでしょう。
ただ今でも子供の頃のマラソン大会での失敗は映像として残っている。もう35年くらい前の出来事なのに不思議です。。
残っている映像は
小学5年生の時、断トツ一位を走っていたが終盤キツくなり歩いてしまった。その時先導していた先生の驚いた顔と周りの街並み。そして保健室で目覚めた時の天井と消毒液の匂い。外に目をやるとまだマラソン大会は続いていた。。。歩いて何人かに抜かれたとこまでは覚えているけどその後の記憶は当時もなかった。フラフラになりながら14位でゴールして保健室に運ばれたようだった。結果を知り同級生多数に負けた悔しさがこみ上げてきたのを今でも覚えている。
もう一つは中学生の時のこと。600人中20位以内に入れば陸上部以外でも駅伝候補に選抜された。私は陸上部ではなかったけど駅伝を走りたかった。7キロくらいのアップダウンの激しいコースだったけど最後のキツい上りを走りきり20位以内だった。あとは1キロくらいのフラットな道を走りゴールするだけなのに不意に歩いてしまった。
【不意に】
って言葉しか今でも浮かばない。
上り坂はキツかったけど頑張って走りきれた。それなのになぜここで歩く??ってタイミングだったのです。そこからもう走れないなら分かるけど、歩いて抜かれ続けるとスピードを上げて抜き返してまた歩くを繰り返し、校庭に入ってからラストスパートして29位でゴールした。
この時の歩いてからゴールするまでの光景は自分に負けたことが悔しく強烈な記憶として今でも脳裏に焼き付いている。
二つの映像とも、終盤キツくなり不本意な結果に終わったという点では同一であるし、今このblogを書くまでは同じような出来事だと思っていた。
でもまったく違うことなんです。
前者は限界まで頑張ったけど、後者は限界のだいぶ手前で自ら頑張ることを止めてしまった。諦めたのです。。。
中学の出来事は、歩いたら楽になると言うこと。マラソンに限らず苦しくなったら休めばいいってことを脳にインプットしてしまった瞬間だったのかもしれない。。
・・・(–;)
・・・。
それから30年以上がたち苦しみながらも東京・柴又を走りきったのだから少しは成長してるかもしれませんね。
いや・・・。
昔もリタイアしてないのだからたいして変わってないような 笑
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