No. 2564初フルの苦難はウルトラランナーへの第一歩だった。

  
ランニングに限りませんが、経験しないと理解できないことって結構あります。

大学時代に中学生の家庭教師をしたことがあるのですが、なぜその計算が理解できないのかが、私には理解出来ませんでした。

それは私自身が子どもの頃に悩んだり頑張ったりしないで、自然に分かったレベルのことだったからです。

逆に一生懸命覚えよう、理解しようと頑張ったことは、どこが難しいか分かるので教えやすかったです。

ランニングも同じだと思います。

昔ランニングクラブのコーチから、骨盤を前傾させてとか、接地時間を早めてとか、腕振りは・・・と言われても、理解出来なかった。

そこで、なぜそうしたら良いか質問しても明確な答えはもらえなかった。

たぶんそのコーチはエリート選手でしたから、子供の頃からほとんど無意識に出来ていたことなのかもしれないと、その時感じました。

トップクラスだったランナーでなくても、初めて走ったフルマラソンをサブ3で走れてしまうランナーには、5時間以上かけて走るランナーの気持ちや、その時の身体の状態や辛さなどは分からないと思う。

逆に5時間以上かけて走るランナーには、サブ3ランナーの苦しさは分からないと思う。

速いランナーは楽に走ってると誤解している方は多いけど、限界まで追い込んでいるのです。そんな思いから下記の記事を書きました。

富士登山競走にみるトップランナーの強さ
  
話を戻して、100キロを完走出来ていない方、制限時間ギリギリの方から、私は最初から100キロを10時間以内で走ってるから、私たちの気持ちや辛さは分からないでしょうと言われたことあります。

  
確かに、私は初めて走った100キロマラソンを9時間54分03秒で走りました。またベストタイムは8時間26分台です。

でも制限時間ギリギリで完走した方や、完走出来なかった方の気持ちは分かります。

ちなみに私のワーストタイムは、2013年チャレンジ富士五湖で、寒さから軽度の低体温症になりお腹をこわした時の10時間25分です。制限時間まで3時間以上残しています。

では、なぜ分かるかというと・・・

私の初フルはハーフ地点も行かずに、脚が攣り走れなくなり、半分以上早歩きで、5時間の制限時間と戦ったからです。 

フルと100キロは違うからと、思った方もおられるでしょうが、当時の状況を振り返ると限りなく似ていると思います。

その時、ウルトラマラソンを走るための多くのことを学びました。

2007年のことだから、もう9年前のことですが、今でもハッキリ覚えています。

その時は、ゆっくりでも走ると両脚が攣って転倒するという状態でした。

このことは以前も書いてるので、ここでは簡単に書きます。

最近の都市型マラソンのように、7時間近い制限時間ならば途中からゆっくり歩いてもゴールできますが、制限時間5時間はかなり厳しかったです。

記憶だとハーフ通過は1時間50分ですから、残りハーフを3時間10分で進まないとゴール出来ない。

ジョグ出来れば余裕で間に合いますけど、歩くことしか出来ない私には厳しいタイムでした。

ただ早歩きをしても攣らないことに気付いたので、一生懸命歩いて1キロをどのくらいで行けるか試したら10分でした。

計算するとキロ10分では21キロを3時間半かかってしまうから間に合わない。

そんなことを考えていると23、4キロ辺りで、収容と書かれた紙を貼ったバスが待機しているのを見つけました。

その収容という言葉が、とても嫌だったのを今でも覚えています。

収容所とか強制的に強いられる言葉ですから。

もし、リタイヤとか、違う言葉が書いてあったら、私のランニング人生は変わっていたかもしれません。

私は先に進むことにしました。関門にはまだまだ余裕はある。計算上は間に合わないけど、諦めなければ脚が治るかもしれないと。。

そこからは、自分にできるただ一つことである早歩きを愚直に続けました。

  
子どもの頃、スポーツが得意だった私はビリッケツの経験はないから、抜かれ続けるのは屈辱でした。

沿道の応援は、歩いている私にも優しいけど、それは憐れみに感じ嬉しくはなかったです。

攣りさえ治れば。。。と悔しくて仕方なかった。

でも股擦れ、脇擦れするくらい、一生懸命腕を振って進みました。

知識がほとんどない頃だけど、少ない知識を総動員して打開策を懸命に考えたところ、攣りの原因は塩分不足とかエネルギー不足だと何かに書いてあったことを思い出した。

スポーツドリンクには塩分が入っている。名物の果物がエイドにはある。それを食べれば治るかもしれないと頑張ってエイドに到着した。

しかし、果物は売り切れ。スポーツドリンクも売り切れ。水しかない。。

途方にくれました。

  
当時はジェルなんて存在も知らないから、何ももっていません。

でも、先に進んだ。

とにかく、自分からは止めないと、その時は思っていた。

対処法が浮かばない何も出来ない自分が悔しかった。

マラソンを舐めて何も準備をしないでスタートした自分に呆れた。

30キロを超えて、これでは間に合わないとゆっくり走ってみたら、両脚が攣って転倒した。やはり無理だ。

でも早歩きを続けながらも、

歩かないと攣らない。
走ると攣る。

そのギリギリの線を模索した。

そのような試みを何回か続けると、攣るタイミングが見えてきた。

そして攣る直前で走るのを止めるを何回か繰り返すうちに、だんだんと走れる距離が伸びてきた。攣らないように筋肉を使う走り方を少しづつマスターしたのかもしれない。

ゆっくりだが走れるようになったことで、不可能だと思っていた制限時間内完走の可能性が芽生えてきました。

そして、無理すると両脚が攣って転倒を繰り返しながらも、ラスト1キロ地点からは残りすべてを歩いても間に合うところまで到達し、4時間56分台でゴールしました。

制限時間まで3分少々でした。

ゴールに辿り着いたことは嬉しかったけど、こんな走りしか出来ない自分が悔しくて涙が溢れてきたから、帽子を目深に被って隠しました。

こんなタイムで泣いてたら恥ずかしいと思ったのです。

それが私の初フルの思い出です。

ここで学んだことが、ウルトラマラソンを走る基礎になっているのです。

・準備は大事

・補給は大事

・ペース配分は大事

といった当たり前のこと以外に

想定外にガッカリしない

→エイドに水しかなし。

可能性がある限り諦めない

トラブルの原因を考える

今出来ることは何か考える。

・出来ることを愚直に続ける。

諦めなければ奇跡は起こる

ダラダラ歩かない

収容バスに自ら乗りに行かない
→自ら止めない。関門アウトは仕方がない。

どれもウルトラマラソン完走には必要なことです。

初めてのフルマラソンを走る前の最長距離はハーフでした。

脚を攣ってからの残りの距離は未知の領域でもあったのですから、完走ギリギリのランナーの気持ちが分かると書いた意味をご理解いただけたと思います。

メチャクチャ長い道のりでした。

ちなみに、ウルトラセミナーでは、このような過去の体験に基づく、根性論、精神論的な話は極力しません。

  

話そうと思えば何時間だって話すことはありますが、一方的に聞くより、参加者の方々が、自分ごととして、一生懸命考えてもらった方が身につくからです。

それと、出来るだけ苦労しないで完走する方法をお伝えしたい。

セミナーはもうそろそろ定員になりますが、懇親会のみであれば、まだまだ入れます。

仲間と一緒に来ていただけたら嬉しいです。

ウルトラマラソンの日本代表や、ウルトラやトレイルで優勝、入賞の常連者も参加するのでいろいろ相談してください。

ご興味のある方は上記リンクから募集概要をお読みください。

また、ウルトラプロジェクトメンバー自己ベスト続出で書いたメンバーも多数参加するので、なぜ停滞していたタイムが再び伸びたのか聞いてみてください。きっと参考になります。

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