No. 1627私が200キロランナーになったきっかけ⑥初フル

⑤で終了するつもりでしたので
初フルのことを簡単に書きましたが、
某サイトに残ってる日記を見たら
いろいろ思い出しました。

これからフルマラソンに
チャレンジする方に
参考になる部分が
ありそうなので紹介します。

2007年4月15日のことですから
6年8ヶ月前のことです。

ちなみに40才でした。

改行を治すだけで
そのままの文章です。

——————————–
2月の犬山ハーフマラソンで思い通りのレースが出来たので、調子に乗って、フルマラソンに申し込んでしまいました。

しかも犬山を走ってから、2ヶ月弱でジムのランニングマシーンを含めて走ったのは1週間前の10キロのみという準備不足での参戦となってしまった。。。

前日に受付した後、車でコースを回ったところ、完全に飲まれてしまった。 今回のマラソンは「第二回 掛川・新茶マラソン」と言います。 お茶畑を見ながら走るわけですが、ほとんどフラットな犬山とは違い、長い上り下りが2箇所あります。

 結局時間がなかったのと、プレッシャーを強く受けすぎないように20キロ過ぎまで下見をして終了しました。 

浜松で宿泊していたので、今朝早めに行って入念にアップをしようと思ったのですが、朝ゆっくりし過ぎて、なんと10時スタートで会場に着いたのは20分前。。

当然アップは出来ないのでストレッチを入念にしてスタート。 そんな状況でしたが、体も軽く、心配していた膝もまったく問題なく、1キロ5分のペースを順調に刻みました。 7キロ付近の最初の難関の上り坂でもペースを落とすことなく、10キロのタイムは50分14秒でした。 

その後も順調にペースを刻みましたが、トラブルは突如やって来ました。 

18キロ地点で左脹脛が痙攣しまったのです。 

止まって治まるのを待ってから歩きはじめ、徐々にペースを戻していきました。

結局20キロのタイムは1時間50分19秒と、10〜20キロのタイムは1時間00分05秒と大分落としました。 

それでも目標としていたサブフォー(4時間以内)はまだ圏内でした。 

しかしペースを戻すと、また痙攣をし、止まって治めてからまたゆっくり走り始めるという繰り返しで、25キロ到着は2時間30分と、5キロを40分もかかってしまう状態で、治まる気配もなく、それどころか左右とも痙攣を起しとても走れる状況ではなくなってきました。 

25キロ地点に、関門を制限時間で通過できなかった人を回収するバスが止まっていました。 そのバスのガラスには「収容」という張り紙が貼ってありましたが、嫌な言葉です。 

走り続けるか断念するか少し考えました。

膝の痛みではないので、体へのダメージは少ないが、ゴールまであと17キロ。辿り付けるだろうか? その時はもうサブフォーは諦めていました。 

昔の私なら走ることを諦めていたと思います。それどころか18キロ地点で痙攣を起した時点で止めていたと思います。

制限時間の5時間でゴールに辿りつく為のペースを計算したところ、ざっくりですが時速7キロで行ければ間に合うことが分かりました。 

走るとすぐに痙攣を起す状態でしたが、ゴールを目指すことにしました。 

かっこ悪くてもいいから何とかゴールしたいと言う気持ちと、もしかして足が治るかもしれないと言う期待からです。 

いろいろ試したところ、速く歩いても痙攣を起さないことが分かりました。 

そこからは長い遠足です。 競歩のように腕を大きく振りながら歩くと、1キロ6分で歩けました。

しかし体が思うようにならず本当に情けなかったです。 

しばらくはそのまま歩き続けました。 

たまに走るとやはり痙攣をおこし、両足が同時に痙攣起した時は転倒しそうになったので、無理はやめました。 

30キロの通過は3時間19分5秒 

残り12キロを1時間40分!! 

痙攣は塩分をたくさん取ることで回復するかも知れないと、給水地点でアミノバイタルをたくさん飲もうと思ったら、終わっていて水しかなかったときにはがっかりしました。 

ただ7キロごとにフルーツサービスがあったので、たくさん食べながら何とか歩き続けました。 

33キロ地点で救護サービスがあったので、痙攣を申し出ると バンテリンのような塗り薬を渡されたので、とりあえず両足に塗ったところ、痛みは少し取れてきました。 

そのころは無理な早歩きのため、股関節も痛くなってきてボロボロの状態でしたが、このままでは制限時間内にゴールできないので走ることにしました。 

ただし、足に負荷をかけないようにゆっくりです。 

幸い痙攣の前兆がはっきりでるようになったので、その時点で走るのをやめて歩き、治まったらゆっくり走り始めると言う繰り返しです。 

その甲斐あり、なんとか40キロ地点で4時間38分と、残り2キロ強を22分で行けば良いところまで来ました。 

しかし残り1キロで激しい痙攣により、しばらく動けなくなりました。 

もうここまで来たら

「ゴールしたいという気持ちだけです。」 

ゴール地点の「ヤマハリゾートつま恋」の敷地に入ってきた時には、自然と涙が出てきました。 

こんなタイムで涙では、カッコ悪いので帽子を目深にかぶり直しましたが、その時は「みっともないと言う気持ち」と、「良くここまで辿りついたという気持ち」が入り混じっていました。 

残り500mを切りゴールが近づき応援の人が増えると、今まで歩いていた方々も最後の力を振り絞り走り始めましたが、私はここで歩くことも出来なくなったら大変と早歩きを続けました。 

「もうカッコ悪くてもいいから、ゴールしたいという気持ちだけです。」 

最後は50mは這ってでもゴールできると走り、何とかゴール!! 

ゴールタイムは4時間56分30秒と制限時間ギリギリでした。 

しかしゴールしたことでいくつか収穫がありました。 

それは、 

・初マラソンで制限時間内に完走(完歩?)できたことで、42.195キロと言う距離を掴むことができた。 

・最低限の目標は達成することができたこと。 

・痙攣は走りこみ不足などの準備不足から起こったの、準備の大事さが分かったこと。 

・痙攣が起こったときの対処法等、最低限のノウハウを持っていないことが分かったこと。 

・後半の25キロはほとんど歩くような状態であったのに、4時間台でゴールできたので上記のことをクリアすれば、目標のサブフォーも達成可能と思えたこと。 

・それと一番大事なことは、諦めなければ何とかなるということが分かったこと。 

しかし沿道の応援には力をいただきました。 私のように歩いている人間にも暖かい声援を送ってくれる。 

本当にありがたかったです。 

今回に懲りてフルマラソンは辞めるなんて事は考えもせず、これからはもっとしっかり準備をしてレースに挑もうと思います。 明日の朝が怖いですが、少し早めに起きて、ゆっくり会社に行こうと思います(笑) 

————————————
以上です。

諦めない気持ちは当時から
あったようです。。

また完走困難な最悪の状況下で
冷静にどんなペースで行けば
間に合うのか計算してるのは
マラソンど素人にしては
我ながら凄いな~と思います。

しかし18キロで脚が攣って、
そこからゴールまでの
24キロはホント長かった。。。

それまでの最長距離は
ハーフを一回走っただけだから
脚が攣ってから未体験ゾーンに
入ったことになる。

制限時間に間に合うと思った
ときはホント嬉しかった。

またゴールまでの直線で
応援された時の気持ちは
今でもハッキリ覚えている。

【感動】と【安堵】

そして【悔しさ】です。

子供の頃から最後尾に近いとこを
走ることなんてなかったし、
走れないなんてことはなかった。

もちろん完走は嬉しいのだけど、
こんな酷い状況の自分が
情けない。

でもよく頑張った。

とかなりいろいろ感情が
交錯していました。

初フルは

どんな人でも平等に一回しかない。

初フルでサブフォーどころか
サブスリーする人もいる。

私もサブフォーは出来ると思っていた。

でも今は

出来なくて良かったと思う。

思い通りにならないことで
どうすれば良いかいろいろ
考えることができた。

たくさん考える時間は
ありましたからね。。。

この時に絶望的な状況を
経験したことで
ウルトラマラソンや
ウルトラトレイルで
完走が厳しい状況になっても

何とかなる

何とかする

と必死に考える習慣がついた。

諦めない気持ちは
特にウルトラマラソンでは
非常に大事です。

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